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慈願寺(じがんじ)は、大阪府八尾市本町にある真宗大谷派の寺院である。 == 歴史 == 親鸞の東国布教の際、那須資村が帰依して信願房法心と号した。二十四輩のひとりでもある法心は、下野国那須郡志賀崎に念仏道場を開き、これを慈願寺と名付けた。その後、法心は親鸞とともに上洛し、終始親鸞に仕えた。親鸞の死後、親鸞の遺命を受けて河内国渋川郡久宝寺村に建立された〔のが当寺である。本願寺の東西分裂期に顕証寺と対立し、江戸時代初期に古大和川(現在の長瀬川)東岸の若江郡八尾へ移転した。 * 1280年(弘安3年)、信願房法心により建立。 * 1470年(文明2年)、蓮如が久宝寺村にて布教活動を開始。当寺を中心とする久宝寺寺内町が形成されて行く。 * 明応年間、当寺住職の法円の協力を得て、蓮如が久宝寺村に西証寺(後の顕証寺。久宝寺御坊)を建立。 * 以降、久宝寺寺内町の中心は顕証寺に移り、慈願寺は顕証寺の世話寺として貢献する〔。 * 1580年(天正8年)、石山合戦講和に際して教如の抗戦派に与し、顕如の講和派に与した顕証寺と対立する。 * 1602年(慶長7年)、本願寺東西分裂に際して東本願寺派に属し、西本願寺派に属した顕証寺との関係がさらに悪化する。 * 1606年(慶長11年)11月、久宝寺村を支配する顕証寺および安井氏に対抗して、森本行誓ら17人の民衆とともに久宝寺村を出る〔。 * このとき久宝寺村の慈願寺は破却されている。 * 移転先の八尾(現在の八尾市中心部)は当時まだ荒地で、この移転集落が後に八尾寺内町となる。 * 1607年(慶長12年)3月、教如によって八尾に大信寺(八尾御坊)が建立され、大信寺の陰家(世話寺)となる〔〔。 * このとき移転集落は若江郡寺内村と称するようになった。 * 1660年(万治3年)、大信寺が現在地に移転した際に、大信寺の南隣に再建される。 * 1814年(文化11年)、本堂を焼失。 * 1817年(文化14年)、本堂再建。 * 2006年(平成18年)、本堂、山門など境内の建築物が登録有形文化財に登録された〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「慈願寺 (八尾市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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